明治17年(1884)年創業の老舗酢屋を引き継いだ五代目滝澤社長は、かつて
お酢の街と言われ、通りを歩くとお酢の香りがしたという広島県尾道市で、昔な
がらの手法でお酢を作り続けている。滝澤社長がこだわる酢造りとこれからの
展望について聞いてみた。
140年近い歴史を守りつつ、 お酢の可能性を広げる仕掛け人
滝澤 彦胤さん
杉田与次兵衛商店有限会社
代表取締役
北海道室蘭市生まれ。中学の理科教師として14年間勤めた後、妻の実家である杉田与次兵衛商店を継ぐため広島へ。四代目の指導の下、伝統的な醸造法を学ぶ。地元の中小企業家が集う同友会にも入会し、経営者として努力する様々な業種の仲間に刺激を受け、伝統的な製法を大事にしながらも、新しい商品や地元の農産物を使用した商品の開発にも挑戦している。2015年、五代目社長に就任。
まずは酒造りから。
明治十七年からの変わらぬ想い
「放浪記」の林芙美子がこよなく愛した街、尾道。古くからお酢の街として知られていたこの尾道に明治17年創業の老舗杉田与次兵衛商店はある。
ここのお酢造りは、まず酒造りから始まるという。酢の原料が日本酒であることはよく知られているが、その日本酒の元となる米選びから始め、たんぱく質が多い胚芽をできるだけ
残して精米する。たんぱく質がよりよく分解されるように味噌麹を使う。そうすることでアミノ酸が豊富になり、うまみ成分たっぷりのお酢になる。つまり、美味しいお酢になるための酒を作るところから始めているのだ。
また、米酢の酢酸発酵は静置発酵という昔ながらの方法を使い、時間をかけて発酵させている。これらの工程をすべて自社でまかなうことは時間も人出も相当かかることだが、その工程をすべて見られるからこそ、確かな品質が維持できるのである。
有機に対する意識は早く、有機JAS認証が無かった頃から有機米に着手。1980年にJAS認定工場となり、2002年には有機JAS認証も取得した。こうした安心安全をベースにした上で、さらに美味しいお酢を目指したいと滝澤社長は言う。
「有機であることは当たり前。美味しくないと長く続けられません」。また、「材料の良し悪しが品質に関わるから、頑張ってくださる農家の方々には本当に感謝です。近年は豪雨などの自然災害も多いので心配です」と滝澤社長。川の水が氾濫したら、もう有機としては出荷できない。有機農業はシビアなのだ。安定して有機純米酢を提供するために取引先のマルシマなどは原料の有機米を保管しているという。地元ならではの強い絆で自然災害対策をしている。
杉田与次兵衛商店のこれから
かつては尾道に十数件あったお酢屋さんも今では二軒になってしまった。昔ながらの酢造りだけでは厳しいのだろうか。「今までとは違ったお酢の新たな魅力を提案していきたい」と滝澤社長は言う。例えばお酢ドリンク「飲む梅とりんご
酢」という商品を開発した。梅の酸っぱさ(クエン酸)半分、りんご酢の酸っぱさ(酢酸)半分。酢酸はホットにするとツンと来るが、梅の酸味(クエン酸)が半分働いているので、あまりツンと来ないのに酸味が残りとても美味しいものになった。
他にもまだ詳しくは書けないが、スイーツに使ったり、お菓子に取り込んだりとさまざまな展開が考えられている。「いろんなところからお酢の味を知ってもらい美味しいと感じてもらえたら、またお酢そのものに興味を持ってもらえると思う」と滝澤社長。杉田与次兵衛のホームページを見ると、「お酢屋のレシピ」としてお酢を使ったレシピが豊富に掲載されている。デザートなども披露しているので、ぜひご覧いただきたい。
「ちょうどコロナの前あたりは『調味酢』とか、味を調整しているお酢がもてはやされていましたが、最近はいわゆる普通のお酢が売上を伸ばしています」。自宅にいる時間が長くなり、料理に時間をかける人が増えたのだろうか?
いずれにせよ、時代は流れている。杉田商店でも、自然食品では軽くて割れないペットボトルはあまり使われなくなり、瓶に移行しているように、古き物を守りつつ、柔軟に対応することで老舗はこれからも存在価値を高めていくのだ。
▲公式ホームページ(https://www.yojibeenosu.jp/)で、お酢屋のレシピを見ることができる