【第2回】木桶文化の復活がひらく、新しい未来
前回、私は木桶と出会い、その存在が日本の発酵文化を支えてきたことに触れました。
今回は、一度は消えかけた木桶文化が、再び息を吹き返し活気を取り戻してきたお話です。
消えかけた木桶文化
木桶は、江戸時代から昭和初期にかけて、味噌や醤油、日本酒などの醸造に使われ、日本の発酵文化を支えてきました。しかし、近代化の波とともにステンレスやプラスチック製の容器が普及し、木桶の姿は急速に減少。木桶で醸造する蔵が減るのに合わせて、木桶をつくる職人も姿を消していきました。
そしてついに、10数年前の時点では、大きな醸造用の木桶をつくれる職人は大阪のわずか1軒のみになってしまいました。
いま各地の蔵に残る木桶のほとんどが戦前に作られたもので、100〜150年もの長寿の木桶も珍しくありません。
しかし、どんなに丈夫でも寿命は訪れます。
「次に壊れたら、木桶仕込みが続けられない」
そんな不安が、醤油や味噌・酢などの醸造の現場で切実なものになってきました。
木桶が使えなくなることは、今まで続いてきた調味料の味わいも、そしてその風景も大きく変わってしまいます。

自分たちの手で木桶をつくる
この危機に立ち上がったのが、小豆島のヤマロク醤油・五代目、山本康夫さん。
2012年、山本さんは大阪・堺の最後の桶屋を訪ね、技術を一から学びはじめます。
こうして「木桶職人復活プロジェクト」が誕生しました。

試行錯誤を重ねながら木桶を自分たちの手でつくり、その経験を共有することで、10数年のあいだに木桶職人は少しずつ各地に増えていきました。
現在の木桶づくりには、醤油蔵、酒蔵、大工、建具屋、機器設備屋、クーパーなど多様な職人たちが参加しています。依頼があれば、それに応じて集まり、新桶の製作から修理、リサイズまで対応しています。
それぞれが持つ加工技術や設備の知識が合わさることで、木桶づくりは毎年進化し続けています。

「技術をひらいて、みんなで育てることで桶づくりは進化する」
と、職人が語る言葉には、文化を未来へつなごうとする強い意志が宿っています。
伝統をつなぐということは、ただ守るだけでなく、時代に合わせて進化させていくこと——その姿勢と実践がこのプロジェクトの芯にあります。
広がっていく木桶の輪
年に一度、小豆島で行う「木桶サミット」には、木桶職人だけでなく、醤油・味噌・酒・酢の蔵元、料理人、流通関係者、研究者など、さまざまな立場の人が集まります。
みんなで新桶を組み上げながら、技術や知恵を交換し、そこから新しいプロジェクトや商品も生まれています。

こうした動きによって、木桶で醸造し続ける蔵も、新たに木桶に挑戦する職人も全国で少しずつ増えています。企業として木桶職人の育成に取り組む酒造メーカーも出てきています(剣菱酒造公式サイト)。
そして、醸造蔵では世代交代も増え、息子世代の若い職人たちが加わることで、技術も交流もさらに活気づいています。
木桶の用途も広がり、醤油・味噌・日本酒だけでなく、ビールやワイン、パン種などにも使われるようになりました。「木桶は海外の発酵技術と日本の文化を結び、新たな可能性を広げてくれる」と、あるつくり手が語っていました。
「ニーズがあるから木桶が増える。そして日本各地に木桶職人が増える」
木桶職人復活プロジェクトが最初に掲げた目指すこと。10数年経ち、当初は数人だったのが、今は木桶サミットには300名ほど集まり、目指していたことが全国各地で芽を出してきています。

木桶文化をつないでいくということ
木桶づくりの背景には、山を守る人、竹林の手入れをする人、木を見極め、材にし、桶に仕上げる技ーーー多くの人の営みがあります。
いま目の前にある木桶は、何世代も前の人が未来を思い植え、育て、手をかけてきた木から生まれたもの。
そして今つくる木桶は、100年後まで誰かが使うもの。
「木桶文化を未来へつなぐ」——
これは、一人の力ではなく、多くの人の想いと技が重なってこそ成り立つものだと感じます。
先人たちが受け継いできた技術と知恵への敬意と感謝、そして未来の子どもたちへ渡したいという願い。その積み重ねにより文化は続いていきます。
これは木桶に限らず、あらゆる文化に通じる大切な姿勢なのかもしれません。
次回は、そんな木桶の魅力を、「木桶仕込み醤油」に焦点を当て、ちょっと深掘ります。
木桶のこと、そして木桶職人復活プロジェクトの詳細について、この本に詳しくわかりやすく記載されています。ぜひご覧ください。
「巨大おけを絶やすな! 日本の食文化を未来へつなぐ」(岩波ジュニア新書)
https://www.iwanami.co.jp/book/b618318.html








